興福寺五重塔を参拝してきました

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    先月の話になりますが、奈良へ行って来ました。

     

    興福寺五重塔、特別拝観。

     

    いつもは離れた所から眺めている塔の中に入れるとのことで

    こんな機会は最初で最後かも・・と。

    ドキドキワクワクしながら足を踏み入れました。

     

    一番嬉しかったのは、心柱が見られたこと!

     

    北方の板が外してあって、覗き込んだ先には立派な心柱が。

    思いがけずその姿を見ることが出来て大興奮でした。

     

     

    真っ直ぐに立った巨木は

    もう根はないはずなのに、まるで強く深く根を張っているかのように感じられ

     

    まだ生きている

     

    そんなふうに感じました。

     

     

     

    どこで

    どれくらい生きて

     

    切り倒されてここに来て

     

    どんな気持ちでここに立っているんやろう?

     

     

     

    足元しか見えないけれど

    塔の上の方まで

    他の木と支え合いながら

    長い時間ここにいる

     

    私が生まれるずっと前から

     

    そしてこれからも

     

     

     

    これから令和の大修理で長い修理期間に入るということ

    塔の姿も隠れてしまいます。

     

    終えた姿を見られるやろうか?・・なんて

     

    10年、20年先って言われるとどうなんやろうって思うようになりました。

     

     

    東西南北におられた仏さまたち、

    一番心惹かれたのは

    南方釈迦如来さまの脇侍、普賢菩薩さまの「象」

     

    象さんの表情も良かったし彫りのこなしも良くて見とれていたけれど

    足元の蓮華、見たことのない形で

     

    もちろん写真は撮れないし、

    目に焼き付けて、塔から出たらすぐにメモを取りました。

     

    私、やっぱり蓮華なんやなぁ(笑)

     

     

     

    仏さまのお顔はもうかすんでしまったけれど

     

    心柱の姿は今もはっきりと思い浮かべることが出来ます。

     

     

    会えて良かった、そう思います。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     


    私の知らない世界

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      朝、目が覚める。

       

      昨日までと違う朝。

      家に小さな仏さんがいはる。

       

       

      ・・その朝、どんな気持ちなんやろう?

      仕事をしながら、考えていた。

       

       

       

       

      「おはよう」

      って、声かけはるんかな?

       

      一緒に出勤しはるんかな?

       

      お留守番やったら

      「いってきます」

      って、声かけて出かけはるんかな?

       

       

      仏さんと一緒に暮らす日々の始まり。

       

       

      生まれたときから今までずっと、

      たくさんの仏さんと一緒に暮らしている私には未知の世界。

       

       

      お家に迎え入れて

       

      どんな気持ちで暮らしていかはるんやろう?

       

       

      そのひとそのひとによっていろいろやろうけど

       

      少しでも心強かったり

      気持ち穏やかになれたり

       

      今までの日々よりも輝いた日々になってくれはりますように。

       

       

      もちろんつらいこともあるやろうけど

       

      「こんなことあってん」

      と小さなほっぺを撫でながら話しかけはったときに

       

      「そうか〜よお頑張ったなぁ」

      と笑って言うてくれはるか

       

      「そうなんや、大変やったなぁ」

      と一緒に泣いてくれはるか

       

      どんなお顔に見えはるかは

      そのひとによって違うと思うけど

       

      でもきっと

      あなたの味方でいてくれはるやろうから

       

       

      仲良く暮らしてくださいね。

       

       

       

      ・・個展の会場で

      「ウチのお地蔵さんこんなお顔〜」

      と、初めましてのひとたちが楽しそうに輪になってはる光景を見るのが大好きです。

       

      またあんな幸せな時間をご一緒出来ますように。

       

       

      今年のお地蔵さん、すべて送り出しました。

       

       

      ありがとうございました。

       

       

       

       

       

       

       

       


      小さいからこそ

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        私がいつも彫っているお地蔵さんは、1寸1分。

         

        蓮台と光背含めての高さなので、

        お地蔵さん本体はもっと小さくて7分(約2センチ)くらい。

         

        小さな小さな仏さま。

         

         

        でも、小さいからこそ一緒にお出かけも出来る。

        いつもそばにいてくれはる。

         

        不安な時、楽しいとき、一緒に過ごせる。

        寄り添って

        支えてくれはる。

         

         

        お仏壇のご本尊さまを連れて歩くことは出来ひんし

        お寺にいはる仏さまはそこに行かな会われへんし

         

        手を合わせて祈る気持ちはどの仏さまに対しても同じやと思うけど

         

        距離が近いっていうことは

        きっとより強い支えになれると思う。

         

         

        そうなってほしいと思って彫っているので

        手にされた方からの受け取りのメールが本当に嬉しい。

         

         

        奇跡のようなタイミングではなく

        きっとご自分で引き寄せてはるんですよ。

         

        ほんまに

        必要なひとのところに必要なタイミングで行くんやなぁ!

         

        彫っていて何度感じたことか。

         

         

         

        心にぽっと灯が灯る。

        そしてまた次の仕事が頑張れる。

         

         

        ありがとうございます。

         

         

        小さな小さなお地蔵さんと

         

        仲良く暮らしてくださいね。

         

         

         

         

         

         

         

         


        大好きな大好きな仏さま

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          ちょっと振り返っての話になりますが、先月京都国立博物館に行って来ました。

           

          私の大好きな仏さまに会いに。

          「聖地をたずねて〜西国三十三所の信仰と至宝〜」展での、久々の再会。

           

          その仏さまは

          奈良・岡寺の「菩薩半跏像」

           

          この仏さま、30年ほど前は博物館の常設展示におられたので

          しょっちゅうお会いすることが出来たのだけれど、今はなかなか会えなくて。

           

          一昨年の秋、初めて岡寺さんへ行ってお身代わりの仏さまにお会いしてきたけれど

          ご本人に会うのは本当に久しぶり!

           

          以前にも書きましたが

          高校生の私は

          「うわぁ〜っ!私もこんな仏さまが彫りたい!!」

          と思ったんですよね〜。

           

          あの頃はわざわざ会いに行くという感じではなかったけれど、

          本館である特別展を見に来たら必ず別館にも寄ってお顔を見て帰る・・というふうで。

          だいたいいつも会えるけど、たくさん並んではる仏さまの中の1体で、

          売店にハガキや写真が売られていはるわけでもなくて、

          「なんで絵ハガキないの〜(泣)」

          と嘆いていたのを覚えています。

           

          私が会いに行ったのは会期最終日の前日でした。

          思っていた以上に来場者が多くて、

          流れに乗って進む中、ゆっくりお話も出来ませんでしたが・・

          それでも何十年ぶりかに見たお顔は、

          やっぱり可愛らしくもあり、凜々しくもあり、

          遠目にではあるけれど初めて見られた横からのお姿は、とても美しく。

           

          短い時間やったけど、再会出来てとても嬉しかったです。

           

           

          今回はポスターにも登場しておられたので売店に行ってみると、思いがけずたくさんのグッズが!

          中でも嬉しかったのが、額に入れて飾れる大きなサイズでの写真の販売。

          もちろん、一緒に帰って来ました♪

           

          「次に会えるのはいつかわからへんけど、これからはいつも一緒にいてくれはる」

          それが嬉しくて。

          今、仕事場にいてくれてはります。

           

          いつも目につく所にではないけれど、時々立ち止まって、お顔を見つめてはニッコリ。

          半跏像やから、目線は合わないんですけどね。

           

           

          大好きな大好きな仏さまやけれど、

          残りの人生あと何回会えるのか、次はいつ会えるのかもわからへんし

          いつもガラス越しで、

          一生触れることは出来ないし。

           

           

          でも、仏さまってほとんどそうですよね。

          読んでくれてはる皆さんにも、

          「大好きな仏さま」がいはる方は多いのではないかと思います。

           

           

          今、お仕事させてもらってて

          「私だけの仏さまをありがとうございます」というお声を多くの方からいただいています。

           

          お寺にいはる仏さま、

          お仏壇の御本尊、

          ほとんどが触れることはない、触れてはいけない仏さまたちです。

           

          私が彫る仏さまは

          いっぱい触れる仏さま。

          いつもそばにいてくれはる仏さま。

           

          例えるとしたら

          一方は憧れの俳優さんや歌手

          一方は家族

          ・・みたいな感じでしょうか。

           

           

          私は仏師である父のそばで

          仏さまが

          尊い存在であること、

          身近な存在であること、

          どっちの面も見ながら育ってきました。

           

          だから今の私がいて、

          今の仕事があります。

           

          博物館の会場で思ったことは

          「こんなにたくさんの人が見に来てはるんやから

          自分だけの仏さまがほしいと思わはる人も、たくさんいはってもおかしくないよなぁ」

           

          思っていたけど入り口がわからへんかった人達と、ご縁がつながれたということなのかな

           

          そんなふうに感じました。

           

           

           

           

          手元に仏さまが来てくれはったからといって

          人生の苦しみがすべてなくなるわけではありません。

           

          やっぱり避けては通れない悲しみもあるやろうし

          「なんでっ!?」って思う理不尽なこともあるかもしれません。

           

          それでもそんな気持ちの中で見つめ合ったときに

          心に「ぽっ」と小さな灯りをともすことが出来るのなら

           

          私の彫った仏さまが

          そんな役割を果たしてくれたら

          とても嬉しく思います。

           

          もちろん楽しいこともいっぱいあってほしいし、

          仏さまと一緒にいっぱい笑い合ってもほしいです。

           

           

          一緒にいれる時間が数ヶ月の人、何十年の人、

          いろんな人がいはるやろうけど

           

          寄り添って、仲良く暮らしてほしいです。

           

           

          あなたの大好きな仏さまに

          私の彫る仏さまがなれますように。

           

           

           

          今日は少し長く書きました。

          読んでいただきありがとうございます。

           

           

           

           

           


          お地蔵さん笑わはった

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            1センチほどの小さなお顔。

            息を詰めて目を切る。

             

            どんなお顔にしようとは思わへん。

            どんなお顔にならはるんやろう?と、自分でもドキドキしながらいつも目を切る。

             

            刀を離して、距離を取ってお顔を確認する。

             

            笑ってくれてはるとホッとする。

             

             

            私には笑って見えてるだけで、

            持つひとの第一印象は違うのかもしれへん。

            でもとりあえず、笑ってくれはったから大丈夫。

            ちゃんとそのひとの所にいく準備が出来はったんやと思う。

             

             

            「日によって笑ってはったり、怒ってはったりに見える」

            そう言わはったひとがあった。

            「お顔見るのもしんどくて、袋から出せへん日もある」

            そんな風にも言わはった。

             

             

            持つひとの気持ちが、お地蔵さんに映る。

             

            良いことも悪いこともある人生。

            そのときそのときで

            いろんな表情に見えるかもしれへんけど、いつも寄り添って。

             

             

             

             

             

             

             

             

             


            随心院での出会い、如意輪観音さま

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              世間では10連休の最終日。痛めている指を休ませたくて、思いきって外出してきた。

               

              向かった先は随心院。春期京都非公開文化財特別公開の最終日。

               

               

               

               

              子供の頃から何度も訪れているけれど、本堂にお参りした記憶がない。

              小野小町の化粧の井戸や、梅園の記憶だけ。

              「初めまして」の気持ちでお参りさせてもらう。

               

              中に入ると、随所で説明してくれはる人がおられて、

              興味深くお話を聞きながら奥へと進んでいく。

               

              お庭に面した所は撮影OKとのことで撮らせてもらうけれど、ついつい資料写真ばかりになってしまった。

               

               

               

              「こんな唐草彫ってみたいなぁ」と。

               

               

              その後本堂の中へ。

              たくさん並んでおられる人の列について、内陣にお参りする。

              中心の御本尊のお厨子、

              開いた扉の陰になりすぐ傍にいくまで仏さまのお姿は見られない。

              傍までいって驚いた。

               

              想像以上に大きな如意輪観音さま。

              涼やかな目元に、均整のとれたお身体。

              指先のこなしに思わず感嘆の声がもれる。

              特に足指、見とれてしまった。

               

              あまりにも素晴らしい仏さまに心奪われ、

              その後見た襖絵は頭に入ってこなかった。

               

               

              あまりちゃんと下調べせずに、ふらりと訪れた今日。

              手を伸ばせば届きそうな距離で、お会いすることが出来て幸せやった。

               

              普段訪れても扉は閉まっていて、

              もし開いていても内陣まで入れることはないとのこと。

               

              今日来られてほんまに良かった。

              ・・父は見たことあったんやろうか?

              ふと思った。実家からそれほど遠くないこのお寺、一緒に訪れたことも何度かあった。

              見てなかったんやったら、見せてあげたかったなぁ。

              出来れば一緒に、見たかったなぁ。

               

               

              仏さんを彫ることは、とても苦しい。

              私にとっては、

              とてもとても苦しい作業になる。

               

              それでも、

              素晴らしい仏さんに出会う度に思ってしまう。

              「こんなふうに彫りたいなぁ」って。

               

              自分の腕の未熟さをもどかしく思いながら、

              それでも必死に、

              これからも彫っていくんやろうな。

               

              ほんまに苦しいのに、やっぱり彫りたいって思ってしまう自分にあきれながら。

               

              「お父ちゃんの娘やから、仕方ないわ」って、

              諦めながら。

               

               

               

               


              大好きな仏さまがおられたお寺へ

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                一週間前のこと・・

                奈良の岡寺に行って来ました。

                 

                 

                 

                 

                「1番好きな仏さまは?」と聞かれたら、今私の頭に浮かぶのは、岡寺の弥勒菩薩さま。

                初めてお会いしたのは、たぶん高校生の頃、京都の博物館で。

                 

                常設展示でたくさん並んでおられる仏さまの中におられて、思わず足が止まった。

                「なんて可愛らしくてきれいな仏さんなんやろう・・私もこんな仏さんが彫りたい!」

                 

                 

                幼い頃、母が時々博物館に連れて行ってくれた。

                三十三間堂とセットのときもあったし、博物館だけのときもあった。

                お弁当持ちで行って、噴水のそばでおにぎり食べることもあったし、

                食堂でミートソーススパゲッティを食べさせてもらえることもあった。

                好きな仏さんがいはると、「絵描きたい」って言うて

                母にもらったメモ用紙に仁王さんの絵を描いたりすることもあった。

                 

                その頃にもお会いしてたかもしれないけれど、はっきりと覚えてるのは高校生の頃。

                彫ることを始めていたから、見方が変わっていたんやろう。

                 

                金銅仏やから木彫仏とは違うんやけれど、

                あの柔らかなお身体の線と微笑みに魅了されて。

                 

                 

                それから何回お会いしたやろう?

                いつも博物館のガラス越し。

                 

                もともといはったお寺はどんなとこなんやろう?

                帰らはることはないんかな?

                 

                 

                博物館、きれいにしはってから常設で出てはる仏さまが少なくならはった。

                お会いするのが難しくなってしまった・・

                 

                 

                お寺には「お身代わり」の仏さまもおられると知った。

                奈良、飛鳥の岡寺さん。大好きなあの仏さまがおられた場所へ、行ってみたいと。

                 

                 

                車が行き違い出来ない細い坂道を登った先に、立派なお寺があった。

                 

                 

                塔の前からの景色。

                 

                 

                 

                 

                赤、緑、両方の色のモミジ。

                 

                 

                塑像のご本尊さまの、ふっくらとやわらかな指先が今も頭から離れない。

                何体もの仏さまがおられて、順にお顔を見ながら進んで行った先におられたお身代わりの仏さま。

                再会・・ではなく、初めまして、なんやけど、

                うまく言えへんけど、似ておられても違う仏さまで、でもやっぱりこの方も好き!と思える仏さまで・・

                 

                「来れて良かった」

                そう思える場所やった。

                 

                今回お寺の方にいろいろとお話を聞かせていただくことが出来て、楽しい時間を過ごさせていただいた。

                ただお参りするだけではなく、少し深く知ることが出来るとまた見え方も変わってくる。

                私も作り手の目線を持っている者として、何かお伝えしていけたらいいなぁと思う。

                 

                紅葉だけでなく、美しいものはたくさん。

                 

                 

                 

                また、違う季節に。

                会いに行きます。

                 

                 

                 


                刃物と一緒に気持ちも研ぎ澄まして

                0

                  今度のお地蔵さんは、少し細め。ここからまだ仕上げに一日かかる。

                   

                   

                  高さ1寸1分、幅と奥行き6分で木出しして彫り進めていくお地蔵さん。

                  途中、ウチのお地蔵さんたちの間に入ってもらって、バランスを見比べながら彫り進めていく。

                  仕事の手を止めるときも、一緒に並んでもらっている。

                  ひとりでさみしくないように・・と。

                   

                  ふっくらしてはったり、ちょっと痩せてはったり、お顔もいろいろ。

                   

                  「どんなひとのところにいくんやろうなぁ」

                  って、彫りながらいつも思う。

                   

                  お顔の仕上げはいつも周りが静かになった夜中にすることが多いんやけど、

                  今、暑くて、昼間ずっと使っている冷風機の音に周りの音がかき消されるから、しっかり深く集中出来る。

                   

                  仏さまを彫るという仕事は、身を削ること・・そんなふうに仕事をしてきた人たちを、ずっと見ながら育ってきた。

                  私もあと何体彫れるんやろうなぁ。

                  出来るだけたくさん、誰かの役に立てればいいな。

                   

                  さぁ、刃物を研いで、最後の仕上げ。

                   

                   

                   

                   

                   


                  昔、洗心で

                  0

                     仕事場の引き出しの中、白生地に包まれて眠っておられる仏さま。

                     

                    今はもうなくなってしまったけれど、哲学の道に「洗心」というお店があって、そこに置いてもらっていた仏さまです。

                    額装して、壁に飾ってもらっていました。

                    2体あって、1体はご縁があって旅立っていきましたが、この方はウチに帰ってきました。

                     

                    額からはずして、今は引き出しに入ってはります。

                     

                    彫ったのはもう10年くらい前になるでしょうか。

                    ふくよかな手足、引き締まったお顔。30代の頃の作品、今彫ってもこんなふうには彫れへんなぁ・・と思います。

                     

                    この仏さまを覚えていてくださって、

                    「あれ、良かったよねぇ」と言うてくれはった方がおられました(ブログに載せてって言うてくださってたのに、遅くなって申し訳ありません)

                     

                    もともと百貨店の催事用に作ってくれと言われて、

                    その頃他の仕事もしていたし、娘もまだ小さかったし、なんとか時間をやりくりして何日も徹夜をして、ふらふらになって彫った仏さまです。

                    「自分が思うことに手がついてくるまで何年もかかる」という父の言葉を思い出しながら、苦しんで、でも精一杯彫った仏さま。

                    上手い下手でいうと決して上手くはないと思っていたので、帰ってきはったときに引き出しにしまってしまいました。

                     

                    仏師としてきっちりとした仕事をする父を見て育ちました。

                    自分も修行にも出たので、たくさんの決まり事の中で仏像が作られていることはとてもよくわかっています。

                     

                    そういうところを離れて、もっと身近な仏さんが彫りたい・・と思っても、「崩したらあかん」と思ってしまう自分もいました。

                     

                    でも、ひとの心に響くのは上手い下手やないんや、

                    決まり事にきっちり沿って作ってなくても伝わるんやと、

                    最近ようやく納得できるようになりました。

                     

                    教えてくださったのは私のお客さまたちです。

                    この仏さまのことでも、ずっと覚えててくれはったことはとても嬉しいことでした。

                     

                     

                     

                    実はもう1体、あのとき彫りきれなかった方がおられます。

                     

                    あれからいろんなことがありました。

                    今やったら、柔らかいお顔に仕上がらはるような気がします。

                    途中で止まったまま10年経ちましたが、いつか仕上げて見ていただけたら・・と思います。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     


                    大きな背中

                    0
                      木を削りながら、思い出すのは大きな背中。
                      先週、奈良国立博物館で開催中の「白鳳展」に行ってきた。

                      薄暗い館内はたくさんの人。ガラスケースの前をゆっくりと流れていく。
                      お久しぶりの仏さまや、はじめましての仏さま。
                      お寺におられるときは見られない、横からのお姿や、後ろ姿。
                      正面からとは全然印象の違う方もたくさんおられて、とても勉強になる。

                      会場の中ほど、順番に進んできて、「さぁ、次の展示室へ・・」と振り返って

                      「えっ!?」

                      そこにおられたのは、大きな大きな仏さま。

                      薬師寺の月光菩薩さまだった。

                      今回出で来られてるのは知っていて、お会い出来るのを楽しみにしていたのだけれど、
                      私は20年以上お会いしてない間に、
                      自分の中で“等身大より少し大きいお姿” と勝手に思い込んでいた。

                      頭が混乱したまま、足元へ引き寄せられていく。
                      見上げた先には凛々しいお顔。
                      そっと後ろへまわらせていただく。初めて見るお背中。息をしておられるようだ。

                      しばらく見惚れて、ぐるり一周させてもらって、また後ろにもどって。

                      今生で、あと何回お会いできるかわからないけど、後ろ姿を見せていただけるのは、これが最初で最後かも・・
                      そう思いながら、やわらかな後ろ姿をしばらく眺めていた私。

                      「しっかり仕事しなさい」 そう言われた気がした。


                      いろいろな素材でつくられた、たくさんの仏さまにお会いした。
                      いつも思うんやけど、
                      最初からそのお姿で、そこに存在してはったように思うんやけど、そうやなくて、
                      誰かがつくったものなんやなぁ・・って。

                      誰かがつくったものなんやけど、そのことを忘れさせる存在として、そこにおられる仏さま。

                      私も“楽しい”と“苦しい”と両方の気持ちを感じながら、これからも彫っていくんやろうなぁ。
                      そんなことを考えた秋の一日だった。

                      昔々から今日まで、
                      たくさんの職人がいて、たくさんの仏さまが生まれた。
                      名は残らなかったけど、つくったものは残って、今もたくさんの人が手を合わす・・
                      そんな仏さまがたくさんおられる。仏師の仕事って、すごいなぁ。

                      私の父も、その中のひとり。

                      父のように、たくさん彫ることは出来ないけれど、
                      父のように、ひとつひとつ丁寧に仕事をしていこうと思う。


                       

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