ちょっと振り返っての話になりますが、先月京都国立博物館に行って来ました。
私の大好きな仏さまに会いに。
「聖地をたずねて〜西国三十三所の信仰と至宝〜」展での、久々の再会。
その仏さまは
奈良・岡寺の「菩薩半跏像」
この仏さま、30年ほど前は博物館の常設展示におられたので
しょっちゅうお会いすることが出来たのだけれど、今はなかなか会えなくて。
一昨年の秋、初めて岡寺さんへ行ってお身代わりの仏さまにお会いしてきたけれど
ご本人に会うのは本当に久しぶり!
以前にも書きましたが
高校生の私は
「うわぁ〜っ!私もこんな仏さまが彫りたい!!」
と思ったんですよね〜。
あの頃はわざわざ会いに行くという感じではなかったけれど、
本館である特別展を見に来たら必ず別館にも寄ってお顔を見て帰る・・というふうで。
だいたいいつも会えるけど、たくさん並んではる仏さまの中の1体で、
売店にハガキや写真が売られていはるわけでもなくて、
「なんで絵ハガキないの〜(泣)」
と嘆いていたのを覚えています。
私が会いに行ったのは会期最終日の前日でした。
思っていた以上に来場者が多くて、
流れに乗って進む中、ゆっくりお話も出来ませんでしたが・・
それでも何十年ぶりかに見たお顔は、
やっぱり可愛らしくもあり、凜々しくもあり、
遠目にではあるけれど初めて見られた横からのお姿は、とても美しく。
短い時間やったけど、再会出来てとても嬉しかったです。
今回はポスターにも登場しておられたので売店に行ってみると、思いがけずたくさんのグッズが!
中でも嬉しかったのが、額に入れて飾れる大きなサイズでの写真の販売。
もちろん、一緒に帰って来ました♪
「次に会えるのはいつかわからへんけど、これからはいつも一緒にいてくれはる」
それが嬉しくて。
今、仕事場にいてくれてはります。
いつも目につく所にではないけれど、時々立ち止まって、お顔を見つめてはニッコリ。
半跏像やから、目線は合わないんですけどね。
大好きな大好きな仏さまやけれど、
残りの人生あと何回会えるのか、次はいつ会えるのかもわからへんし
いつもガラス越しで、
一生触れることは出来ないし。
でも、仏さまってほとんどそうですよね。
読んでくれてはる皆さんにも、
「大好きな仏さま」がいはる方は多いのではないかと思います。
今、お仕事させてもらってて
「私だけの仏さまをありがとうございます」というお声を多くの方からいただいています。
お寺にいはる仏さま、
お仏壇の御本尊、
ほとんどが触れることはない、触れてはいけない仏さまたちです。
私が彫る仏さまは
いっぱい触れる仏さま。
いつもそばにいてくれはる仏さま。
例えるとしたら
一方は憧れの俳優さんや歌手
一方は家族
・・みたいな感じでしょうか。
私は仏師である父のそばで
仏さまが
尊い存在であること、
身近な存在であること、
どっちの面も見ながら育ってきました。
だから今の私がいて、
今の仕事があります。
博物館の会場で思ったことは
「こんなにたくさんの人が見に来てはるんやから
自分だけの仏さまがほしいと思わはる人も、たくさんいはってもおかしくないよなぁ」
思っていたけど入り口がわからへんかった人達と、ご縁がつながれたということなのかな
そんなふうに感じました。
手元に仏さまが来てくれはったからといって
人生の苦しみがすべてなくなるわけではありません。
やっぱり避けては通れない悲しみもあるやろうし
「なんでっ!?」って思う理不尽なこともあるかもしれません。
それでもそんな気持ちの中で見つめ合ったときに
心に「ぽっ」と小さな灯りをともすことが出来るのなら
私の彫った仏さまが
そんな役割を果たしてくれたら
とても嬉しく思います。
もちろん楽しいこともいっぱいあってほしいし、
仏さまと一緒にいっぱい笑い合ってもほしいです。
一緒にいれる時間が数ヶ月の人、何十年の人、
いろんな人がいはるやろうけど
寄り添って、仲良く暮らしてほしいです。
あなたの大好きな仏さまに
私の彫る仏さまがなれますように。
今日は少し長く書きました。
読んでいただきありがとうございます。