楽しかった気持ちが今につながっている
作品の仕上げの前には、必ず刃物を研ぐ。
研ぎ立てのめちゃめちゃ良く切れる状態で木を削ってやって、きれいに仕上げるために。
それと同時に、気持ちも研ぎ澄まして自分に気合いをいれるために。
研ぎ上がった道具たちを見て、「きれい」と思うし、気持ちが高ぶる。
でも、これを見て「怖い」と感じるひとも・・
今まで意識したことがなかったけれど、これは鋭利な刃物で、手元が狂えば大怪我をするわけで。
それを一日に8時間も10時間も握りしめて仕事をしているんやから、常に緊張しているわけやんなぁ・・
そんな話を娘にしたら、
「うん。お母さんの集中力はすごいと思うで」と言われた。
そうか、私のしていることはすごいことなんや。だからこんなにヘトヘトになるんや。
細かい作品が多いから疲れるんや、そう思ってきたけど危険と隣り合わせの仕事なんやなぁ。
無意識で何十年も仕事してきた。
彫刻刀を怖いと思ったことなどなかった。
なんでやろう?
そう考えたら、やっぱり父の存在が。
子供の頃、彫っている父の手元を見ているのが好きやった。
心地良い音をたてて削られていく木から、いろんなものが姿を現してくる。
まるで手品か魔法のように。
子供の私は、父が操る彫刻刀を魔法の杖のように感じていたのかもしれない。
食事のときに箸を持つように、
文字を書くときに鉛筆を持つように、
木を削るときに彫刻刀を持つのは、我が家では日常の風景やった。
そして私も父と同じように、彫刻刀を持つようになった。
最初はもちろん上手く削れなかったけど、
今はずいぶん道具とも木とも仲良くなれたと思う。
個展のときには、また会場で木を削る。
私が幼い頃に感じたあのワクワク感を味わっていただきたくて。
今も覚えている。
左後ろから覗き込んでた父の手元。白い膝掛けの上に落ちる小さな木くず。
テンポ良く削られていく木。
今は私の手が、同じように木を削る。
- 2018.04.09 Monday
- 仕事
- 20:31
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- by se-tsu