彫っている手を見て思うことと、彫っている手を止めて思うこと
彫っている手を止めて、自分の掌を眺めることが時々ある。
私の掌は、父の掌と同じ大きさ。
自分の掌を見て、父の掌を思い出す。
昔、合わせた掌は同じ大きさで、指の太さは父の方が1、5倍ほど太かった。
「うわぁ!大きさ一緒やなぁ!」
そう言って2人で笑い合ったなぁ。
どれくらい近づいているんやろう?比べたくても、もう合わせることは出来ないから。
それでもずいぶん肉厚になった掌は、親指の付け根には力こぶも出るようになり、
皮が分厚くなった右手の親指と人差し指は、ちょっと切ったくらいでは出血しない。
彫っている自分の手元を見ていて、
彫っている父の手元を見ていたときのことを思い出すこともある。
重なって、つながっている二人の手。
右利きの父、左利きの私。木と刀を握る手は逆やけど。
最近、また別のことも考えるようになって。
削られている木が、この掌の中で、
「なんやクッションきいてて気持ち良いなぁ〜」と思ってくれてたらいいのにな、と(笑)
前は、彫っている自分が木肌の気持ち良さに癒やされてたけど、
今は、木にそう思われたいなぁ、と。
「なんやめっちゃ気持ち良い思ってくつろいでる内に、なんやめっちゃ格好良くなってるやん!」
なんて思ってくれてたらいいのになぁ〜。
「木に慣れるんやなくて、木になってしまえ」
父にそんなことも言われたなぁと思い出す。
木の気持ちに寄り添って仕事が出来たら、木に喜んでもらえるやろか。
そんなことも考えながら、今日も一日木を削っていた。
人にも木にも喜んでもらえる、そんな仕事がたくさんしたい。
- 2018.08.03 Friday
- 仕事
- 20:07
- comments(0)
- trackbacks(0)
- -
- -
- by けっち