久しぶりに訪れた黄檗山万福寺。蓮の写真が撮りたくて。
仕事で蓮台を彫る私、毎年この時期には、いろんな所へ蓮を見に行く。
資料にするため・・でもあるけど、ホントはそんなこと関係なしに、大好きな花。
万福寺は、子供の頃よく遊びに来ていた。
遊びに・・って表現はおかしいやろか?
でも、ウチの家では、父も母もお寺や博物館によく連れてってくれて、
それが楽しかったし、たぶん、動物園とか遊園地に行くのと同じ感覚でいたんやと思う。
布袋さんの裏側におられる韋駄天さんが私は子供の頃から大好きで、
きりっとしたお顔の、「男前の韋駄天さん
」とずっと思っていたけど、
今日お会いしたら、とってもやさしいお顔に見えて、
なんだか少し、泣きそうになった。
ものすごく凝った彫りの甲冑と、ふくよかでやわらかな指先。
これを彫ったひとは、
どれくらいの月日をかけて、どれほどの思いで仕事をしていはったんやろう?
すごい技術やんなぁ、きっと楽しんで彫ってはるよなぁ〜
余裕のある仕事は美しいなぁと思う。
本堂に入って十八羅漢さんの前に立つと、
いつも、首根っこ掴まれて、一気に子供の頃に引き戻された気分になる。
何度も父と来た場所。
少し先を歩いて、羅漢さんを見上げてる父が、見える気がする。
そして私は、小学生の目線で羅漢さんを見上げてた感覚がよみがえる。
お堂に響いてた父の声が、今も耳に残っていて、自分ひとりなのが不思議に思えて。
薄暗いお堂。高い天井。
父はもういないし、いつか私もいなくなるけど、
世の中が平穏なら、羅漢さんたちはこれから先も、ずっとここに座ってはるんやろうな。
回廊をゆっくり歩く。 ときどき止まって、柱をながめる。
みんな違う木目。 生き物やもんね、違って当たり前。
宇治市には昔「巨椋池」という大きな池があって、昭和の初期に干拓されてなくなってしまったけれど、
その池に咲いていた蓮たちが、あちこちで今も育てられている。
万福寺にある蓮の鉢にも、名前に「巨椋」の文字が入っているものがたくさんある。
子供の頃は宇治市に住んでいたので、
小学生のとき、「宇治市史」の授業で池のことを知った。
たくさんの蓮が咲いていて、「蓮見船」が出たという話を聞いて、「見てみたかったなぁ〜!!」と思っていた。
その頃から蓮が好きやったんやなぁ。
いつか、自分の家でも蓮を育てたいな。