今年の紅葉は綺麗でした。 お花みたいな葉っぱたち。
早いもので、今年も最後の月がやってきました。
先月の今頃は、東京にいました。
去年の今頃は、東京での三人展の準備に追われていました。
今は、来年はどう動こうか考えながら、仕事をしています。
谷中には父の道具も持って行って展示していました。
いつも仕事場に飾ってる写真も。
私がこの仕事をしているのは、あの父の娘に生まれたからで、
だから、東京で初めての個展、「一緒に行こう!」って、連れて行きました。
一日が終わると、お友達が作ってくれはった袋に写真をいれて一緒にホテルに帰って、
朝になると一緒に出勤して(笑)
上野の森や谷中霊園も一緒に歩きました。
名の知られていない、でも、とびっきり腕のいい職人でした。
東京の方にそれを知っていただきたくて、作っていった説明文を、皆さん丁寧に読んでくださいました。
こんな文章です。
父 竹内義雲(本名 義一)は、大正15年、愛知県蒲郡市に生まれました。
7人兄妹の末っ子で、海も山もすぐそばの自然豊かな町で育ち、旋盤工の職についていましたが、
当時を知る本家のいとこが言うには
「勝手に辞めてしまったんだよ」
後をとっていた長男にも母親にも相談することなく、仕事を辞めてしまったようです。
よっぽど彫りの仕事がしたかったのでしょう。
23才の時、紹介状を持って京都に出て、仏像を彫る修業を始めました。
まだ戦後間もない物のない時代、
風習の違う京都で23才からの丁稚奉公。
さぞかし苦労したことと思います。
それでも一生懸命修業して、腕をみがき、
たくさんの仏さまを生み出して、
平成7年、69才の生涯を終えました。
彫ることが大好きでこの道に入った、そんな父だったので、
家の中には父の彫ったものがあふれていました。
仏像はもちろん、ハンコや耳かき、おもちゃ箱にはウサギや木魚。
仕事部屋からは木を削る音、家の中は、木の香り。
木の中から生まれては旅立っていく仏さまたち。
私にとっての当たり前がどれほど贅沢なことだったか知ったのは、ずっとずっと後になってからのことです。
父と同じ道を進みながら、仏さま以外のものも彫るようになったのは、幼い頃の体験が大きいような気がします。
ふと顔を上げれば、仏さまやネコと目があったり、
胸元のアクセサリーを指でそっとなぞっていたり。
つかず離れずでいつも傍に木がいてくれる、
そんな日常を知っていただきたくて。
木と人とをつなぐお手伝いが出来れば嬉しく思います。
京都に戻って、仕事場のいつもの席、父の写真もいつもの向かい側。
なんだか寂しく思ったのは、観音様が旅立たれたから。
東京で待っていてくださった方のところへ、無事納まりました。
長くかかって作らせていただいた仏さまでした。長く傍にいてくれはったから、
いなくならはったことに少し違和感を感じました。
でも、これが私の仕事で、
自分のためやなくて、誰かのために彫らしていただいてるんやから、
ご注文いただいて彫らせていただけたことに感謝して、
観音様がその方の人生に寄り添って、見守っていってくれはることを願いながら、今は次に向かっています。
これからも、一生懸命彫っていきますので、よろしくお願いいたします。