「彫りたい」
初めてそう言った記憶は、3歳か4歳の頃。父の仕事場で。
すると胴巻きの小さいノコギリと木っ端を渡されて「これ切ってみ」
で、ノコギリの歯に指引っかけてうわぁ〜っと泣いて、
「どうしたんやっ?!」と母が飛んできた。それが最初の記憶(笑)
次は小学生のとき。
「そろそろ彫る練習したいんやけど」なんて生意気に言ったら、
「宇治川行こか」って。・・?
で、自転車こいで連れて行かれた河原で、ネコヤナギの枝を切り出した父。
家に帰って、短く切って割ってくれた枝の山を指し示し
「これで楊枝彫れ」
父が席を離れているときにその場所に座ることを許されて、何本も一生懸命に楊枝を彫った。
また別のときは、四角い板にマス目に線引いてくれて、三角刀1本渡されて、
「この線の上まっすぐに彫れ」
「深さも同じように」って。
見本で彫ってくれた線みたいに、深くて真っ直ぐな線はなかなか彫れず、
1本の線の上を何度も彫刻刀をすべらせた。
口ばっかりで彫れへん私に
宇治川で釣ってきた大きなナマズ「これ彫ってみぃ」って。
このときは私から彫りたい言うたわけやないし、
「立体なんて無理やんっ!!」と子供心に思ったけど、しぶる私に無理矢理彫らさはった。
というか結局ほとんど父が仕上げてくれた。
このとき私が(っていうか父が)彫ったナマズと、父が彫ったナマズと、2匹が手元に残っている。
今、自分がひとに教える立場になって、こんな子供時代のことをよく思い出すようになった。
教室に来てくれてはる生徒さんの他にも、遠方だったり、お仕事で時間的に難しかったりで「彫りたい」という気持ちは持っておられるけれど、一緒の時間を過ごすことが出来ていない方が数名・・
生徒さんの次の段取りを考えるのと同じように、どうしてはるかな?とやっぱり気にかかる。
ここ数年で「彫りたい」って気持ちをもっておられる方がたくさんいはることを知ったし、
「彫りたいけど何をどうしていいかわからへん」という方がいはることも知った。
毎日木を削る音がして、
家の香りが白檀の香りで、
そんな日常がとても珍しいことやったんやって、改めて思う。
「彫りたい」
それぞれのひとの真っ直ぐなその気持ちに、どれだけ寄り添えるやろうか?
私自身が、子供の頃のあの純粋な「彫りたい」気持ちをなくしてしまっていないやろうか?
そんなふうに自分に問いかけながら、仕事をしている。