最近、時々お煎茶を入れて飲んでいる。
そのときは必ず父と一緒に。
その昔、小学生の私に美味しいお茶の入れ方を教えてくれたのは、父やった。
仕事場の写真の前にお供えして、おりんを鳴らす。
向かい合って座って、お茶を飲む。
数年前の「響展」で、会場中のおりんを鳴らして聴き比べて選んだ1寸4分のおりん。
台座はもちろん自分で彫った。
蓮にしようと思ってたんやけど、木目がきれいやったからシンプルな形に変更した。
正絹の巾着の生地も、渋めを選んで。
使い込んでくるうちに、台座も、おりんも、いい感じに育ってきている。
集中して仕上げてしまわなあかん仕事があるのに、心がざわざわしているとき、
そんなときもおりんを鳴らす。
二方屋さんに出会うまで、
おりんをそんなふうに使うなんて考えもしなかった。
個展をしたギャラリーのオーナーさんが引き合わせてくれはらへんかったら、
きっと今も知らずに過ごしている世界やったと思う。
使い込むほどに音が良くなっていくと言うてはったから、
今の音は、最初に「これやっ!!」と思ったのとは違う音になってるんやろうなぁと思う。
それでも、変わらないことなんかないんやし、
私が彫ってる木たちも、使い込むことでどんどん変わっていくんやし。
昨晩、耳元で小さく鳴らしてみた。
どうしても鳴らしたかったけど、夜中やったんで。
このサイズは台座に固定されているから、
そういうことも出来るんやと今さらながらに気がついた(笑)
自分の中に音が響く。
波が寄せるように、音が寄せて、気持ちのざらつきを削り取ってくれた。
部屋に鳴り響くとき、
お墓参りで青空の下、風に流れて広がっていくとき、
耳元で身体の中に響くとき・・
小さなひとつのおりんが、そのときそのとき役目を変えて、響き方を変えて、そばにいてくれる。
昔ながらの製法で丁寧に作り上げて、お客様に丁寧に伝えていってはる姿を見ているから、
「必要なひとに見つけてもらえますように」って祈ってる。
私もこのおりんに出会えて良かった!と思っている一人やから。