この音と、生きていく
茗荷の花が、咲きました。
苦手な外出が続いて、くたびれ果てて。
ここ数日は仕事に集中。だんだん気持ちが落ち着いてきた。
「ぱんぱんぱんっ」と木くずを叩いて、席を立つ。
この音は、記憶の中の音といつも重なる。
父は家で仕事をしていた。
奥の仕事部屋から出てくる前に、いつもこの音が聞こえる。
「お父ちゃん立ってきはる!」の合図の音。
他にも木を削る音、削った木くずを吹き飛ばす音・・
よく家に遊びに来ていた友人の記憶にも残っている音たち。
もうずいぶん前になるけれど
私が実家に行って荒彫りをしていたときに、母が
「あぁ、懐かしいなぁ」
と口に出したことがあった。
いつも
私達の日常に満ちていた音たち。
母は、私の鑿打ちの音を聞きながら、どんな場面を思い出していたんやろう?
他にも
刃物を研ぐ音や、
鋸を挽く音、
鉋をかける音、
いろんな音が耳に残って。
今、私は記憶の中のその音に自分の音を重ねて。
うまく重なる・・ということは、仕事が上手くいっているということで。
仏さんとアクセサリーやねこは、刀の運びが違うので、音が重なることはない。
私も仏さんを彫るときは、音が重なるときがある。
そして今なら、思い出すだけで何を彫ってはったのかを感じとれる。
あの音は、衣紋の曲線を彫ってはった音や。
あの音は、阿弥陀さんの肩口を削ってはった音や。
手元を見ていなくても、自分も彫るようになった今やからこそわかることがある。
いつもいつも、
丁寧に、
一生懸命に、
仕事してはったなぁ。
母、兄、姉は、私の彫る音を聞いたとき、どんな場面を思い出すんやろう。
母のお腹にいるときから、ずっと聞いていた父の音。
他の家族が思い出にしてしまった音と
私は今も、生きている。